弁護士 鍛冶 孝亮
2014.03.03

法教育の意味

「法教育」という言葉を聞いたことがある人は多いと思います。

 法務省によれば、「法教育とは、法律専門家ではない一般の人々が、法や司法制度、これらの基礎になっている価値を理解し、法的なものの考え方を身につけるための教育」と定義されています。

 最近、「法教育」を行う意味を考えさせられた出来事がありました。



 今年の1月、山梨県弁護士会から講師を招き、法教育に関する研修会が行われました。



 山梨県弁護士会では、法教育の一環として、地元の中学生を対象とした夏休み子どもロースクールというイベントを実施し、刑事の模擬裁判を行うなどの行事を行っているようです。



 このイベントの内容は、参加した子どもたちに、架空の事例に基づき、被告人が有罪か無罪かをグループに分かれて議論を行い、結論やその結論に至った理由を発表してもらったり、裁判官、検察官、弁護士に対して質疑応答を行うというものです。



 私の印象に残ったことは、イベント終了後、参加した子どもたちにアンケートを実施し、このイベントに参加した感想を聞くと、模擬裁判の議論を通じて、「自分とは違った見方をする人がいる」、「自分は思いもしなかったことを考える人がいる」ということに驚かされたという回答が多いということです。



 実は釧路弁護士会にも法教育委員会があります。

弁護士が小中学校に赴き、弁護士の仕事を語ったり、昔話をアレンジして、民事裁判、刑事裁判の手続を説明するなどの出前授業を行っています。

私も中標津地区にある小学校での出前授業に参加したことがあります。



私は、これまで、将来を担う子どもたちに対して、法教育を行うことは良いことだと漠然と考えていた気がします。

しかし、前述した子どもたちのアンケート結果を聞いて、法教育を行う大きな意味を自分なりに考えることができました。



 社会とは、たくさんの人が存在することで成り立っています。

 十人十色という言葉があるように、考え方、ものの見方は人によってそれぞれ異なります。常に自分の考えや物事の捉え方が正しいとは限りません。



私は、法教育を行う大きな意味の1つとして、私たちの社会は多様な価値観が存在していることを子どもたちにわかってもらい、謙虚に他人の考えや意見に耳を傾けることができるような人格を形成してもらうことにあると考えました。

このような人格を形成することは、子どもたちが豊かな人生を送る上で必要なことだと思います。また、多種多様な価値観が存在することが前提の民主主義国家である日本国の発展のためにも重要なことだと思います。



法教育は重要であるという認識は、これからますます広がっていくと思います。

今年も出前授業に協力することがあるかもしれません。その際は子どもたちに、これまで述べたことを伝えていきたいと思っています。