弁護士 鍛冶 孝亮
2012.11.14

温故知新

温故知新とは、「前に学んだことや昔の事柄をもう一度調べたり考えたりして、新たな道理や知識を見出し自分のものとすること」という意味です。

みなさんの中でも、昔の知識に触れて、新たな考えを見出したという方も多いと思います。
最近、論語(孔子の語録を主として紹介している中国の古典)が密かなブームと言われております。

私も大学時代から、論語に触れており、今年の夏、本屋で『面白いほどよくわかる論語』(日本文芸社)という書籍を見つけ、すぐに購入しました。

論語ブームの背景には、事の善悪を判断できる能力をつけた人になるために、「己の欲せざる所は人に施すことなかれ」(論語より)といった、他人に対する思いやりや慈しみを持つことの大切さを教える道徳教育を幼いうちにすべきという考えがありますが、私も同感です。



論語の中に、
「子曰く、これを導くに政を以てし、これを斉(ととの)うるに刑を以てすれば、民免れて恥ずることなし。これを導くに徳を以てし、これを斉うるに礼を以てすれば、恥ありて且つ格(ただ)しい。」
という話が出てきます。

この話は、「政治を行う場合に、法律や刑罰で統制しようとしても、民は法をすりぬけることを考えるようになり、恥ずかしいとも思わない。しかし、法ではなく道徳で国民を指導するようにすれば、不法な行為を恥ずかしいと思うようになり、正しい人生を歩むようになる」と解釈されています。



これは、徳のある為政者(政治を行う者)や君主が、道徳や仁(思いやり、慈しみ)に基づいて政治を行うのが理想だという徳治国家についての考えといわれています。



現在の日本国は、徳治国家ではなく、国民の代表者が定めた法律に基づいて、国政が行われるという法治国家です。
しかし、特定の行為が法律によって罰せられる理由はなぜかを考え、そのような行為をしないよう人々の良心や道徳に訴えていくことは、犯罪などの行為の防止のために、意味がないことではありません。



弁護士としても、犯罪をしてしまった人に反省を促すとき、「法律で禁止されている行為だから、二度としてはならない」というだけでは、説得力に欠けます。
どうして法律がその行為を禁止しているのかまで追究し、二度とそのような行為をしないように、その人の良心や道徳に訴えるということが必要になってくる場合もあります。



約2500年前から今日まで語り継がれた論語を読んで、いろいろ考え、今回は、論語の中から、法律に関係した話を紹介しました。
「子曰く、故きを温めて新しきを知る、以て師と為るべし。」
温故知新の由来も論語です。