弁護士 荒井 剛
2021.11.24

ちょうど20年

ちょうど20年 
2021年もあと残すところ1か月となりました。
今年もあっという間に時間が過ぎていきます。

今から遡ること20年前、2001年(平成13年)の11月9日。
7回目の受験の末、ようやく司法試験に最終合格した日でした。
法務省に行き、自分の名前が掲示板にあることを確認し、友人らと一緒に記念写真を撮った思い出があります。しかし、より鮮明に覚えているのは、最終合格の発表ではなく、それより一月前の論文式試験の合格発表(10月12日)のときでした。

当時の司法試験は、
①短答式試験(マークシート型)(5月)
②論文式試験(7月)
③口述式試験(10月)
という3つの試験がありました。

①短答式試験を合格しなければ、そもそも②論文式試験を受けることができません。
②の論文式試験に合格しなければ、③の口述式試験も受けられません。
①から③のすべてを合格してはじめて司法試験を「最終合格」したといえます。

平成13年当時の出願者数は38、930人。
①の短答式試験で6、764人に絞られ、
②の論文式試験で1、024人に絞られ、
③の口述試験を経て、最終合格者が990人となりました。
https://www.moj.go.jp/jinji/shihoushiken/press_011109-1.html (法務省HP参照)

幸い、私は、その年、990人の一人に入ることができたわけですが、上の数字からみてもわかるとおり、③の口述試験で落ちる人数は極めて少ないです。その前の①の短答式試験と②の論文式試験でそれぞれ6分の1ずつにふるい落とされてしまいます。①短答式試験は、勉強を始めて間もない受験生が多く含まれていますが、②の論文式試験となると、すでに①の短答式試験に合格した地力のある受験生の中で勝ち上がらないといけないため、②の論文式試験が最大の難関と呼ばれていました。

ただ、私は、その前の①の短答式試験で苦労していました。
3回目の受験までは、短答式試験の段階でつまずき、②の論文式試験にすら進むことさえできませんでした。なのでいまだに短答式試験に落ちる夢を見たりすることがあります。

そんな中、平成13年、なんとか短答式試験を突破し、論文式試験もふらふらになりながら無事終え、合格発表の日を迎えることになりました。

短答式試験の合格発表は、受験番号だけの掲示にとどまりますが、論文式試験の合格発表の場合には、氏名と受験番号が法務省の掲示板に発表されます。インターネットでも合格者の発表がなされていたようでしたが、私は、毎回、霞が関に足を運び、自分の目で掲示板を確認することにしていました。

ネット環境が今より整備されていなかったこともあり、多くの受験生は法務省まで来て掲示板を確認していました。そのため、法務省前には、掲示板を確認しようとする受験者が列を作っていました。掲示板前のスペースは限られていますので、5分置きに、20、30人ずつ前に進むといった具合でしたので、行列に並び、掲示板にたどり着くまでの時間、本当に長く感じました。

周囲を見渡せば、きっと一緒に勉強してきた仲間が列に並んでいるところを確認することができたと思いますが、仮に、友人を見つけたとしても発表を見る前ですので、お互い気を遣います。ともに合格していればいいですが、そうでなかったらと考えたら、発表を見る前の列に友人を見つけたとしても会話するような雰囲気にはなりません。

そこで、私は、あえて周囲を見渡すこともせず、前だけ見つめ、心を落ち着かせつつ、自分を鼓舞するように、音楽を聴きながら、無心を心がけていました。ちなみに、当時、スマホというものが普及していなかったため、今は死語となっている「MD(ミニディスク)」で聴いていました。

聴いていたのは、サラ・ブライトマンの曲です。特に何度も繰り返し聴いていたのが
“La Califfa” と “Here With Me”でした。

最初の“La Califfa”は、2分ちょっとと短い曲ですが本当に心が洗われます。
https://www.youtube.com/watch?v=YEuuTf5lsLQ

世の中にこんなきれいな歌があるのかと思うくらいです。イタリアのエンニオ・モリコーネ作曲で、歌詞はイタリア語です。イタリア語はまったくできないため、意味はさっぱりわからないのですが、美しい旋律とサラ・ブライトマンの声が合わさり、聴いているだけで本当に涙が出てきます。歌詞がわからないのになぜ涙が出るのか、そんなことあるのかと思われるかもしれませんが、実際、涙が出てきます。このコラムを書くにあたり、久々に聴いてみましたが、聴き始めて5秒後に涙が出ていました!!

日常生活でも、ストレスを抱え、少し辛いなと感じたときにでは、是非、聴いていただきたいです。心が穏やかになります。

次の“Here With Me”  https://www.youtube.com/watch?v=GZR5C8h7kYk
この曲の特徴は、イントロや歌詞の部分というより、アウトロ(イントロの反対。前奏ではなく後奏)の部分だと思っています。いつまでも後奏が続いてほしい、そう思わせる曲です。5分半ほどの曲ですが特に4分以降の部分を聴いているとコートをなびかせながら、肩を切って堂々と歩いているような錯覚に陥ります。

まさにその状態で私は法務省の掲示板に行き、自分の名前と番号を確認することができました。それまで3回、論文試験の発表を見に来ていましたが、はじめて自分の名前と番号があったわけです。何度も確認してしまいました。何度確認してもあるわけです。

あのときは本当にうれしかったですね。

発表の際、私が、サラ・ブライトマンを聴いていたかどうかは、当然、合否とは関係がないでしょうが、司法試験の合格発表と聞くと、私は、最終合格のときよりも、論文試験の合格発表のときを、そして、サラ・ブライトマンを聴きながら発表を見に行ったことを思い出します。

あれから20年。
いまだに実現できていないことがあります。
一度でいいからサラ・ブライトマンのコンサートに行きたいと思っておりましたが、いまだに行けていません。2016年7月には、札幌でコンサートが開催されました。どうしても予定があわず断念しました。次は絶対にと思っていたら、今度は、コロナの影響もあり、今後、はたして来日公演が実現するのか気をもんでいます。

コロナが落ち着いた後にしたいことは何かと聞かれたら、サラ・ブライトマンのコンサートに行くことと答えます。日本で公演しないのであれば、海外に行ってでもコンサートに行きたい、それくらい一度行ってみたいと思っています。

20年前に司法試験に合格。その後、司法修習を経て、2003年10月に弁護士登録したので、弁護士としては19年目に突入。弁護士20年目となる来年、何とか実現したいなあ。