弁護士 荒井 剛
2021.09.29

愛犬チャチャ

事務所のホームページの弁護士紹介でも触れているとおり、私は、もともと北海道には縁もゆかりもなかったのですが、司法試験合格後の修習先が釧路に決まり、その後の人生が変わりました。釧路に住み始めて20年弱、いまではすっかり釧路人です。

それでも釧路に来てから最初のころは、よく横浜にある実家に顔を出していました。ただ、そのペースも年を重ねるにつれ、徐々に減り、さらに昨年からの新型コロナウイルスの影響もあり、しばらく実家に帰っていませんでした。私が小3のときに建てられた家。もうすぐ築40年を迎えます。その実家が諸事情により処分されることになりました。今は亡き愛犬と過ごし、司法試験の勉強を黙々と続けた実家ですので、処分される前に、実家を見納めしようと考え、今回、久しぶりに実家に帰ることにしました。家の中はもちろんですが、家から小学校、中学校までの通学路やよく愛犬を散歩していたところを散歩しながら昔を思い出していました。

小4の冬、まだ生後1か月の柴犬の子犬が我が家にやってきました。
私と妹は「ジョリー」と名付けたかったのですが、メスだったため両親が提案した「チャチャ」と名付けられました。外の犬小屋で寝るようになるまでは私の部屋で寝ていた「チャチャ」。毎朝、「チャチャ」に起こされ、散歩に連れて行っていました。

中2の冬、父の転勤によりアメリカに引っ越しすることになり、「チャチャ」は、散歩仲間の「ゴン」がいる知人宅に預けられることになりました。知人の車の後部座席に乗った「チャチャ」は、すごく悲しそうに、何でお前たちは乗らないのかという顔でずっと後ろの窓からこちらを眺めていました。胸が引き裂かれる思いでした。アメリカに引っ越しして3年、私が高校2年になったとき、日本に一時帰国することになったため、「チャチャ」に3年ぶりに会いに行きました。チャチャは、すぐに私の両親の姿に気が付き、尻尾を振って大喜びしていました。しかし、私が近づくと、尻尾を振るどころか、今にも唸り声を発しそうな警戒する仕草を示してきたのでショックをうけました。たしかに中2から比べると背が大きく伸びましたし、丸坊主(野球部だったため・・)から、鼻にかかるほど前髪が伸び、ウエーブがかった髪型に変化していたため、同一人物だと認識されなかったかもしれないと自分なりに解釈しました。

高校を卒業した後、私以外の家族は、さらに2年間、海外に住むことになったため、私だけ、日本に帰国することになりましたので、家族が揃って生活することになったのは、私が大学3年になる頃でした。こうしてまた実家で暮らすことになったため、「チャチャ」を引き取ることになりました。

最初はすこしぎこちなかったものの散歩に連れて行き続けると、すぐに私と「チャチャ」との距離も縮まりました。ただ、「チャチャ」からすると、この大学生のあんちゃんが次の新しい飼い主なんだなという認識だったのではないかと思います。

大学在学中は、部活で帰りが遅くなることもあり、私よりも両親が「チャチャ」を散歩に連れて行ってくれたほうが多かったと思います。それでも大学を卒業し、本格的に司法試験の勉強を始めると、基本的に私は外出せず、自宅にいましたので、平日はほぼ私が「チャチャ」を散歩に連れて行っていました。勉強に疲れ、外の空気を吸うためのいい気分転換にもなっていました。卒業後、すぐに司法試験に合格することはできなかったのでそのような生活を3年程度続けたある年の1月の終わり。「チャチャ」もすでに15歳を超え、後ろ足が不自由になり、食欲も明らかに減退してきましたので、病院で診てもらったところ肝臓が悪化し、手術はもうできないと言われました。以前、1度、手術で腫瘍を摘出して元気になったこともあったので今回も手術で、という願いは叶いませんでした。みるみるうちに痩せていき、もはや自力では動けない状態になりました。トイレもできなくなり、そのたびに汚物処理をしなければならない状況となり、いよいよもう危ないなと感じていました。

その頃、私は、自宅での勉強のほか、答案練習のため東京の司法試験予備校に週2回ほど通っていました。その日も答練があったため、帰宅したのが午後11時過ぎでした。帰宅後、すぐに居間に行き「チャチャ」の様子を見に行きました。自力で水を飲むこともままならないため、小皿に入れた水を手ですくい、「チャチャ」に飲ませようとしたところ、「チャチャ」が突然、私の目を見ながら、私の親指の先端と第一関節の間あたりをガブリと噛んできました。元気だった頃でもこれほどの強い力で噛まれたことはない位でした。噛まれた痕は、その後も2週間くらい残ったほどでした。

これは私の勝手な想像であり、たぶんに美化されているところではありますが、当時、実際にそう感じたので、感じたままを書こうと思います。

「チャチャ」は死期が迫る中、人間ではよく言われているように、昔の出来事を走馬灯のように思い出していたのではないかと思います。

腫瘍を摘出した手術は痛かったなあ・・・
「ゴン」は元気にしているかなあ・・・・
車に乗ってみんなから見送られたとき、悲しかったなあ・・・

そういえば、小さい頃、外ではなく、家の中で過ごしていたっけな、
寝るときはいつも坊主と一緒だったなあ、よくペロペロと顔を舐めていたな、そのときの坊主はどこに行ってしまったのかなあ、そのときの坊主に会いたいなあ・・・

・・・・ああ、そうか、あのときの坊主は、お前だったんだな・・・
・・・だから同じ家にいるのか・・・・ようやく気が付いたよ・・・
・・・今までありがとう・・・・
・・・・お前が帰ってくるのを待っていたよ・・・バイバイ・・・

と言っているように感じました。

声も出せない、尻尾も動かせないため、最後の力を振り絞って、「チャチャ」は、私の指を噛んできた、と感じました。

その数分後、「チャチャ」は息を引き取りました。

本当は「チャチャ」が元気なうちに司法試験に合格したかったのですが、あらためて「チャチャ」のためにも合格すると心に誓い、なんとか翌年、無事に合格することができました。

今回、実家が処分されることとなり、あらためてチャチャのこと、司法試験の勉強をしていたころを思い出し、初心にかえることができました。