新年?
コロナ禍にありましたが、今年も新年を迎えました。
今回の年末年始は、大人しく自宅に籠っていましたから、新年と言っても、めでたさも、新年の高揚感もあまり感じることはありませんでした。
ところで、新年と言えば、初日の出です。
釧路からだと、本土最東端の岬である根室の納沙布岬に初日の出を拝みに行くなんてことをしている方もいらっしゃるようです。てっきり、本土最東端の岬なので、日本で最初に初日の出が見られる場所かと思っていたのですが、普段の日の出ではなく、初日の出については、どうやら、標高や、地軸の傾きの関係から、富士山山頂や、千葉県の犬吠岬の方が早く見られるようです。
新年になると、初日の出だけでなく、「初」〇〇というのが、色々なところで言われます。大変重宝されるわけですが、この元日というのは何がめでたいのでしょうか。
そもそも、1月1日はなぜ1月1日なのでしょうか。
なぜ1年の始まりの日として、この1月1日が設定されているのかということです。
例えば、冬至を1月1日と設定すれば、そこから日が長くなって、また、日が短くなって1年が終わるわけです。それとも、太陽にでも、1年のスタートの目印のようなものが1月1日の場所にあるのでしょうか。
答えは否。
どうやら、1月1日に天文学的な意味はないようです。
西暦1582年に、それまで使われていたユリウス暦が、グレゴリオ暦に改められ、それが世界各地に広まって、現在の暦になったということのようです。
ユリウス暦導入後の西暦325年、春分の日が3月21日に決められました。この春分の日は宗教的意味合いもあり、3月21日に固定されたようですが、ユリウス暦では、4年に1回を全てうるう年としていたため、16世紀ころには、天文学上の春分は、3月11日頃までずれてしまっていたようです。
それを春分の日を3月21日にするということを尊重し、天文学上の春分と一致させ、うるう年を400年に97回としたのが、グレゴリオ暦です。
ずれてしまった春分の日と天文学上の春分を一致させるため、1582年10月4日の翌日を1582年10月15日として、調整されました。
日本にグレゴリオ暦が導入されたのは、明治時代で、明治5年12月2日の翌日を明治6年1月1日(グレゴリオ暦1873年1月1日)として調整されたのです。日本では、太陰太陽暦という月の満ち欠けによる暦が使われていたため、ほとんど1カ月の調整となっていますね。
1月1日がなぜ新年かと言うと、天文学的意味はないので、そういう決まりだからということになります。もっと言えば、みんながそう思っているからということ。1月1日が新年の始まりということは誰も疑いを持っていないでしょうから、それでいいでしょう。
因みに、400年に97回という、うるう年のルールですが、
①西暦の4で割り切れる年がうるう年
②例外として、100で割り切れる年はうるう年にしない
③さらに例外として、400で割り切れる年はうるう年
西暦2000年は、うるう年でしたが、例外の例外である③にあたる非常に珍しい年だったのですね。