弁護士 鍛冶 孝亮
2019.01.16

お金と煩悩

1.以前とあるテレビ番組で、お寺での作法を紹介していました。
その中で、お賽銭はどれくらいの額が相応しいのかということも紹介されていました。
その番組に出ていた僧侶の方は、財布に手を入れてつかんだお金をそのままお賽銭箱に入れるのが良いという話をされたのが印象に残っています。

2 仏教では「お金」は「煩悩」に繋がるといわれています。
お寺に参拝しお賽銭を入れる行為は、仏様にお金を捧げ煩悩にとらわれないようにするという修行の1つであり、できるだけ多くのお金を入れることが良い修行に繋がるという説明がされており、なるほどと納得しました。
  お金をたくさんもっていることは幸せに繋がるとも考えられますが、お金があることで欲が出てきて、その欲に押しつぶされ最終的に苦しみを抱えてしまうというのが仏教の考え方です。
  頭では理解できる話ですが、財布に入っているお金をすべてお賽銭箱に入れることは誰にとっても厳しい修行に違いないとテレビを見ていて思いました。

3.お金に執着することは幸せに繋がらないというのが仏教の考え方ですが、人が亡くなって相続が発生するときこそ、この考えを思い起こすことが必要な場面ではないかと考えることもあります。
  日本人の多くは、仏教式の葬儀や法要をとり行いますし、お盆やお彼岸などには、お寺にある納骨堂やお墓にお参りにいきます。
  もしも多くの日本人が、仏教の考えに従って行動しているのであれば、相続時のトラブルは発生しないはずです。
  しかし、相続財産を巡るトラブルは数多く発生します。血の繋がった家族同士が修復不可能なほどに仲違いすることも珍しくありません。
  財布の中に入っているお金をすべてお賽銭箱に入れることが現実的にできないように、仏教を信仰しお金と煩悩の関係を理解している人であっても、実際の場面では、故人の財産に執着し結果として苦しみを抱えることもあると思いますが、このことは人のさがなのかもしれません。

4.このように残された家族がお金のことで苦しむことになる相続トラブルの場面に遭遇すると、お金に関するお釈迦様の教えは、まさにそのとおりだと感じます。
  故人としても自分が残したお金で、亡くなった後に家族が争うところは見たくないはずです。
  極端な話になりますが、生きているうちはできるだけお金を使い全く残さないようにする。お金を使いきれないようであれば、遺言で菩提寺に全額寄進する又は福祉団体等に全額寄付するということも、亡くなった後に自分のお金のことで争いをなくすための方法の1つかもしれません。