弁護士 荒井 剛
2018.10.24

刑事事件の新聞記事の掲載、一方的過ぎやしませんか?

東京、大阪のような都会とは異なり、地方で弁護士事務所を構える弁護士の多くは、民事事件だけでなく刑事事件も担当していることが多いと思います。私も今は弁護士会の会長職に就いているため時間の都合上、刑事事件を担当する機会は少なくなりましたが、釧路で開業した10年以上前は、年間40件、50件の刑事事件を担当しておりました。さて、今回は刑事事件の新聞記事の掲載について以前から思っていることをコラムにしてみました。

刑事事件といってもさまざまなケースがあります。コンビニや本屋で食料品・雑誌を盗んだ疑いで逮捕された、人を殴って怪我をさせた疑いで逮捕された、覚せい剤使用の疑いで逮捕された、あるいは飲酒運転で人を死傷させてしまったために自動車運転処罰法違反等の疑いで逮捕されたというケースなどたくさんあります。

全国版のテレビニュースで取り上げられるような重大事件や芸能人が当事者となっている事件を除き、誰がどのような理由で逮捕されたという事実は、事件当事者やその関係者でない限り、新聞に掲載されて初めて一般の人に知られることになるというのが普通だと思います。そうすると、日々発生する地元の刑事事件ネタ(どこの誰が、どのような容疑で逮捕・勾留されたのか等)は新聞で取り上げられない限り、地元の人々にとっては知る由もないということになります。

そのため、新聞記事の果たす役割は重要です。国民の知る権利に応えるためにも新聞記者が取材活動を経て入手した情報はできる限り報道すべきだと思います。特に、ローカルネタに強い地元の新聞紙の果たす役割は極めて重要だと思います。

ただ、その刑事事件の新聞記事の載せ方は、一方的過ぎやしませんか?

逮捕されたという記事が掲載される際、よく被疑者の実名、年齢、職業までもが明記されています。逮捕の段階では、まだその人がある罪を犯したという疑いで「逮捕」されたということに過ぎません。この段階では、逮捕の理由となった被疑事実(容疑のこと)が本当にあったのかどうかもあいまいなことが多く、また、その事実があったとしても犯罪が成立するかどうかも判然としていません。また、何より被疑者からきちんとした弁明を聞けていないことが多いです。にもかかわらず、逮捕の段階で、実名・年齢・職業を明らかにすることは問題ではないかと常々思っております。報道機関からすれば、逮捕という事実を客観的に伝えているだけというかもしれませんが、逮捕の段階で、なぜここまで明らかにしなければいけないのでしょうか。ある人物が逮捕されたという記事を目にした読者の多くは、その人物が有罪であり、「逮捕された人」=「悪い人」というような偏見を抱いてしまっているのが実情だと思います。一度、偏見を抱いてしまえばそれを拭い去ることはなかなか難しいです。一旦、実名入りで報道されることによる影響は計り知れません。被疑者だけでなく、被疑者の家族、職場、知人・親戚までも巻き込まれます。裁判で争い、有罪になった場合には実名入りで報道され不利益を受けたとしても自業自得だというところがありますが無実だった場合はどうなのでしょう。

一度失った名誉・信用はそう簡単には回復しません。それでも、裁判で無罪判決を勝ち取った場合には、無罪判決が言い渡されたという事実が新聞記事に掲載されることで、多少なりとも名誉を回復させることができるかもしれません。でもこれは起訴されて、裁判にかかり、その上で無罪判決になった場合です。

問題は、逮捕されたものの裁判にかけられなかったという場合です。たとえば、逮捕・勾留されたとしても、嫌疑がない等の理由で身柄が釈放され、不起訴処分になった場合です。起訴されない以上、裁判にかかることもありません。これまで200件以上の刑事事件を担当して実感するのは逮捕されたからといって必ず起訴されるわけではないということです。むしろ逮捕された事件の何割かは起訴されずに釈放されているということです。このことは意外に一般の方には知られていないのではないでしょうか。どうしても「逮捕」=「裁判」=「有罪」=「悪い人」と考えてしまいがちですが、「逮捕」=「裁判」ではないということ、したがって、決して、「逮捕」=「悪い人」ではないということをわかってほしいです。

起訴されずに釈放された被疑者は無罪判決を受けたいと思ってもそもそも裁判にかけられていない以上、無罪判決を受けることすらできません。当然、無罪判決を受けたという記事が新聞に載ることもありません。それでも、不起訴処分になったという事実が新聞に取り上げられるのであれば、多少なりとも被疑者の名誉・信用回復につながるかもしれません。しかし、不起訴処分になったということが新聞記事に載ることはほとんどありません。

なぜ新聞で取り上げないのか不思議で仕方がありません。

たしかに報道の自由は重要です。
しかし、本来、無罪推定の原則からすれば、逮捕の段階ではなく、起訴されて有罪判決を受けた段階で実名入り報道すべきだと思いますし、仮に、有罪であるとの偏見を読者に抱かせてしまいかねない逮捕時の実名入り報道をするのであれば、その事件の顛末まできちんと見届け、不起訴になった場合には不起訴になったところまで記事にしてはじめて読者の知る権利に応えることになるのではないでしょうか。