弁護士 久保田 庸央
2018.04.19

依頼人の意向にそのまま従う弁護士はいい弁護士か

 依頼人の意向にそのまま従う弁護士はいい弁護士か

 このような問いに対しては、多くの方が、当然いい弁護士に決まっていると思うことでしょう。

 依頼人の希望に沿って忠実に業務を進めていく…。この側面だけを見れば、いい弁護士に決まっていると思います。

 しかし、依頼人の希望に沿って進めること自体が依頼人の利益になるとは思われない場合…。そんな場合はどうでしょうか。

 例えば、弁護士が依頼を受ける段階で勝訴の見込みの乏しいと判断できる事件について、依頼人が是非とも裁判を依頼したいと希望しているとします。
 ここで、依頼人の希望を叶えるべきであるとして、依頼を受けて訴訟を起こしたとすれば、相手の反論を受ける前の依頼を受ける段階で勝訴の見込みが乏しいというのですから、訴訟では、当初の見込み通り敗訴となると思います。
 この場合、裁判の結果は、起こした請求が通っていないということで、プラスにはならなかった…、すなわち、ゼロということになります。
 しかし、裁判を起こすには、裁判の実費は当然かかりますし、着手金という弁護士費用がかかりますし、依頼人が裁判を進めるにあたってかける労力も無視できません。
 そうすると、余計な費用がかかったり等している以上、結果はゼロではなくマイナスであり、依頼人には却って損失を与えることになります。
 経済的な損得だけを考えれば、依頼人の希望に沿って事件処理することは依頼人にとってマイナスになる見込みなのですから、このような処理をする弁護士がいい弁護士であるはずはありません。
 いい弁護士であれば、依頼人に勝訴の見込みが乏しいこと、その件で事件を依頼することは却って損失を被る見込みであることを十分に説明して、理解をしてもらい、何もしないという選択をとるなり、依頼を断るなりするはずです(全てを否定する趣旨ではございません。末尾※ご参照。)。

 このことは、勝訴の見込みは十分ですが、回収の見込みがないという場合にも妥当します。裁判に勝っても、回収ができなければ、結局、費用だけがかかり、実入りはゼロですから、依頼人にはマイナスという結果が残ります。
 やはり、この場合も、権利がある(裁判に勝てる)ことと、実際にお金になることは違うことを十分に説明し、理解を得る必要があるわけです。

 他にも、例えば、当て逃げ事故にあい、車の修理費が100万円程度かかるが、後で加害者が判明し、その息子から、息子が50万円を払うのでそれで解決して欲しいとの申入れをうけ、加害者自体は無保険で車を運転していたもので、しかも年金生活者であることが分かったような場合。
 そして、依頼人が50万円では足りないので、100万円の支払を求めて弁護士を依頼したいという場合。
 この場合は、通常、息子には法的な支払義務はありませんし、年金は差押え禁止ですから、加害者を相手に法的手続をとっても回収の見込みは乏しいと言わざるを得ません。加害者の息子は道義的な観点から支払を申し入れているものと見ることも可能ですが、この場合に、依頼人側に弁護士が就けば、加害者及びその息子側も弁護士に相談はするでしょうから、その際には、息子に法的支払義務のないことは十分すぎるくらい説明がなされ、息子の道義的な支払意思が失われてしまう懸念もあります。
 利益状況を依頼人に理解してもらい、そのまま相手側と話をつければ50万円を受け取ることができるのに対し、弁護士をつけることで全く支払を受けられないリスクが現実化すれば、依頼人には大きなマイナスになってしまうことは十分意識されるべきです。

 そのほか、注文住宅に不具合があるから損害賠償請求をしたいというような場合。
 不具合の程度にもよりますが、住宅の欠陥について、損害賠償の対象にまでなるとすれば、「瑕疵(かし)」という欠陥の程度に達していなければならず、瑕疵という認定を受けるハードルが高いことや瑕疵を証明するためのコストが高いことから、相手と事を構えるのが必ずしも正しいとは言えません。というのは、業者側も、新築の家について、何かしらの不具合があるとの指摘を受ければ、メンテナンスなどと称して直してくれることがほとんどだからです。ですので、まずは業者に困っているという連絡をして円満に直してもらう方法を考えるべきで、それでうまくいかない場合に初めて弁護士が代理人に就く等を検討すべきです。最初から弁護士が就くようなことがあれば、業者側も態度を硬化し、瑕疵の証明がないものは一切対応しないということにもなりかねず、瑕疵の証明のハードルが高いこと等からすれば、事を荒立てなければ直してもらえたものが直してもらえなくなったりして、依頼人には不利益になることがあるのです。

 以上、いろいろと例を挙げましたが、ここで注意すべき点は、実は、弁護士の側は、上記のような依頼でも、受任すれば弁護士費用(着手金)がもらえるということです。必ずしも依頼人の利益になるとは思えない事件でも、受任すれば短期的には、弁護士の利益になるということであり、事件欲しさに依頼人の不利益部分の説明を不十分にして、敢えて事件を受けるようなことがあれば、そのような弁護士がいい弁護士のはずがありません。

 依頼事件の処理中、裁判所や相手方から、解決案が示されることがあります。通常は、依頼人の利益を100%かなえるような内容ではありません。
 しかしながら、訴訟の結果や最終解決までの時間、コストの見込み等を総合して検討すると、そのような解決案を受けるべきであることは多くあります。その際には、依頼人に不利益な側面はあるけれども総合的には有利であることを十分に理解してもらう必要があります。それを、十分に説明することをせずに、依頼人が判決までやって欲しいと希望した通りに事件処理を継続すれば、結果として依頼人に不利益を及ぼしてしまいます。
 
 私は、いい弁護士は、依頼人に不利なことはきちんと説明する弁護士だと思っています。実際、不利益事項を十分に説明して理解を得ようとすると、依頼人から反感を買うこともあり、ストレスのかかる作業にもなります。
 中には、依頼者のイエスマンのような弁護士がいてもいいというような発想の弁護士もいますが、個人的には、ストレスのかかる作業を回避して精神的に楽をしているだけではないかと思っています。
 個人的見解にはなりますが、依頼人の意向にそのまま従う弁護士はいい弁護士かとの問いの答えは、ノーだと思います。おそらく、単なるイエスマンはどこへ行ってもダメなんだと思います。




※本コラムでは、あくまでも当初から勝訴の見込みや回収の見込みが乏しいにもかかわらず不利益事項の 
 説明を十分にしない場合を批判の対象としており、結果として敗訴したり、回収できなかった場合全般を問 
 題としているわけではございません。また、勝訴することは難しいことが見込まれても、活動自体に社会的
 意義があることもあり、そのような弁護士活動を否定する趣旨でもございません。