アダルトを観たい自由と観たくない自由
2018年が明けました。本年もどうぞよろしくお願いします。
初詣でのおみくじは「末吉」でした。何事も慌てず、じっくりやるべきだということが書かれていましたので今年は基礎的なことをこつこつと勉強しなおすことにします。
さて、やや過激なタイトルから本年最初のコラムをスタートしたいと思います。
ここでいう「アダルト」は、単純に「成人・大人」を意味する英単語を意味しているのではなく、「成人向け」「18禁」をイメージさせるものを想定しています。最近、コンビニ業界ではこういった成人向け雑誌を扱うかどうか論争になっております。現在、多くのコンビニの書籍コーナーでは、成人向けコーナーを設け成人向け雑誌が陳列されているかと思いますが、一部のコンビニでは、成人向け雑誌を取り扱わなくなったとも聞いております。
以前からすごく不思議に思っていたのはそのような成人雑誌類の配置位置や陳列方法です。
コンビニ内のトイレ近くに配置されていることが多いためトイレを利用しようとするとどうしても成人雑誌の表紙等が目に飛び込んでしまいます。子連れでコンビニを利用し、子どもをトイレに連れて行こうとするときにはできるだけ子どもに見せないように気を遣ったりします。わざわざ誰からもわかるような場所に陳列しなくてもいいのではないでしょうか。カバーをつけて表紙を隠すという方法もありますがこれをすると表現の自由がうんぬんという意見があるとも聞いております。これのどこが表現の自由の問題になるのかちっともわかりませんが、カバーをつける、つけないという以前の問題ではないかと思います。
アダルトを観たいという要望は存在しますし、その要望自体、否定されるべきではありません。しかし、コンビニの本棚に堂々と陳列されてまでその要望を守るべきだとは思えません。タバコを吸う自由に対し、タバコの煙を拒否する嫌煙権なる権利があるように、アダルト作品を観たい自由に対し、これを観たくない、あるいは見せたくない自由・権利なるものも観念できると思います。
20年以上昔の話になりますが、ドリフのコントや2時間もののサスペンス劇場、あるいは全国の温泉を紹介する温泉番組といったテレビ番組には必ずといっていいほど裸の女性が登場したりしていました。思春期を迎えた私はドキドキしながら隠れて観ていた記憶がありますが、たまたま親と一緒に見ていた場合にはとても恥ずかしい気持ちになっていたのを思い出します。と同時に、誰もが目にすることのできるテレビ番組にわざわざそのようなシーンを入れる必要があるのかと疑問に思っておりました。
観たくない自由はどこに行ったのか、観たい人だけが観ることができる仕組みにしておけばいいのではないかと感じておりました。観たい人は、観たくない人に遠慮することなくアダルトを観ることができるようにすればいいだけです。
高校時代は親の仕事の事情によりアメリカで過ごしていたのですが20年以上前でもすでにアメリカの一般のテレビ放送ではそのようなアダルトシーンは一切なかったです。その代わり、ケーブルテレビが普及し、きちんと料金を支払うことでアダルト番組を視聴することができていました。日本でもそうすべきではないかと思い、アダルトを観たくない自由があるのではないかと感じたことを中央大学法学部の志望理由書に書いた記憶があります。
それから20年、日本でもケーブルテレビやインターネットが普及したことにより地上波のテレビ番組では女性の裸体が映るシーンはほとんどみられなくなってきたと思います。その点では少し前進しているのではないかと思いますが、まだまだです。
冒頭で述べたように依然としてコンビニの書籍コーナーでは成人向け雑誌が普通に置かれています。レンタルDVD店のように成人向けコーナーを設置し、成人向けDVDコーナーに用がある人だけの目に触れられるように他のDVDスペースと隔離して陳列しているのであればまだしも誰の目にも簡単に触れられるところに陳列されているのはいかがなものかと思います。
さらに、日本の週刊誌はアダルト関係の記事を特集することが多いという印象を持っております。これを特集すること自体を否定しているわけではありませんが、アダルト関連の記事の見出しや写真が誰も目にすることができる電車内のつり革広告や新聞紙の広告欄に普通に載せていることにかなりの違和感を抱いております。
アダルトを観たい自由はあってしかるべきですし、それが不当に制限される必要はないかと思います。
しかし、アダルトを観たくない自由を蔑ろにしてまでアダルトを観たい自由を保障する必要はないかと思います。コンビニは子どもだけでなく多くの外国人も利用することでしょう。日本のコンビニを訪れた外国人もびっくりしていることと思います。
来年にはラグビーワールドカップ、2020年にはオリンピックが日本で開催されます。それまでにアダルトを観たくない自由への配慮が進むことを期待しています。