最近、原発に関連する1冊の小説を読み、1本の映画(ドキュメンタリー)を観ました。
小説のタイトルは「黒い巨塔」。医学界の腐敗を題材にした小説「白い巨塔」を明らかに意識したネーミングです。これは元裁判官が書いた最高裁内部の権力闘争を題材にした小説です。もちろんフィクションであり、これがそっくりそのまま日本の最高裁の実情を明らかにしたものとはいえないと思いますが妙に生々しい内容ではあります。小説の中では、原発訴訟に関し、司法全体が原子力ムラと呼ばれるところからの圧力を受ける様、そして、最高裁長官が配下の者を使って人事異動、嫌がらせ等のあらゆる手段を通じ、原発を否定(原発の再稼働を認めないという意味)するような判決が出ないよう徹底させようとする様子が描かれます。裁判官は科学者ではありません。したがって、原発については科学者の意見を尊重せざるを得ないし、重大事故対策の基本的な設計方針が明らかに不合理か否かという観点で判断するしかない等というかなり行政よりの意見が強いといった内容です。しかし、知的財産を巡る裁判では当然に高度の専門性が要求されるし、通常の民事裁判の中でも高度の専門的科学の知識が求められる場面があり、その都度、裁判所が当事者からの主張・立証を受け、勉強し、専門知識を吸収し、司法的な判断を行っています。裁判官という人たちの学習能力は相当高いと思います。専門外だから深くは判断しないとかではないですし、必要であれば、裁判の中で、専門家に意見や鑑定を求めることもできます。ただ、これはあくまで小説での話です。そうではなく信念を持って日頃の裁判実務に従事する裁判官が多数であると信じたいところです。
ところで私ももちろん原発の専門家ではありません。
しかし、本当に素朴に疑問を感じています。
福島第一原子力発電所の事故が発生してからすでに5年が経過しました。いまだに廃炉までの道のりは険しいですし、避難された方が元の場所に戻れる見込みすら立たない地域もあります。除染費用も増える一方です。原発の危険性は誰の目から見ても明らかです。危険性を完全に封じ込める安全性があると強弁し、危険性を上回る原発の有用性・必要性を掲げ、国を挙げて原発政策を推進してきました。福島原発事故後、一時期、日本で稼働していた原子力発電所がすべて停止し、電力不足が心配されました。当時の人々の節電意識、各種の節電対策による影響もあったかもしれませんが、結果、電力不足に陥ることはありませんでした。
素朴に思います。本当に原発って必要なんですか?地震大国ですし、国土も狭いです。原子力発電所の設置、稼働、維持のために一体どれだけの費用がかかるのでしょうか。福島原発のような事故が二度と発生しないという保証は一つもありません。さらに、使用済み核燃料の処理問題だって解決の目途が立っていません。普通の家庭で出る燃えるゴミとは訳が違います。使用済み核燃料から出る高レベル放射性廃棄物が危険であることは言うまでもなく、生物にとって安全なレベルまで放射能が下がるにはおよそ10万年という気が遠くなる年月が必要とされております。10万年です。原発を稼働し続ける以上、使用済み核燃料のゴミは増え続けるわけです。最終処分場も決まっていないのにです。そんなバカな話がありますか。せっかく作ったのだから動かしましょうなんていう話ではありません。
原発推進派の人たちは言います。原発事故のリスクといっても想定しうる全てのリスクに対応することまで求めるのは不可能であって現実的ではなく、たとえば隕石が原子力発電所の上に落ちてくるといった非現実的なリスクまで想定しなければいけないのはナンセンスであると。自然に左右されるのではなく安定した電力供給のためには必要不可欠であると。そして、日本の技術力をもってすれば原子炉格納容器は壊れない、だから安全だと。
原子力ムラが存在する限り、原発はなくならないとも言われています。原子力ムラとは原子力発電所を巡る産、学、官一体となった利権構造を揶揄するものです。いいか悪いかは別にして(悪いに決まっていますが・・)、今の日本の政治・経済は原子力発電所ありきになっています。本来であればそのような権力とは一線を画し、毅然と対峙しなければならない司法の世界でも冒頭で紹介した小説の内容に近いものが起きていてもおかしくありません。
たしかにありとあらゆるリスクに対し100%対応するのは非現実的かもしれません。しかし、明らかに危険である原子力発電所になぜそこまで固執するのでしょうか。電力が私達の生活に必要不可欠なのはわかりますが、技術が進み、太陽光、地熱、水力、風力等といった自然再生可能エネルギーで代替できる時代です。原発はもはや「必要不可欠」ではありません。
太陽光発電の買取価格が下がったものの日本でも固定価格買取制度の導入により太陽光発電が爆発的に普及しました。また、福島原発事故を受け、世界では原発に対する考えを改めている国が多いです。もともと原発推進派だったドイツのメルケル首相は原発ゼロに完全に方針変更しました。中国でも福島原発事故を教訓にし、原発推進ではなく自然再生可能エネルギー業界に力を注いでおります。いまや風力発電量では中国に敵う国はいません。問題は、本当に自然再生可能エネルギーで代替できるのか、そして、安定した電力供給が可能なのかという点ですが現にドイツでは可能になっております。潜在的な自然再生可能エネルギーはドイツの数倍あると日本は言われております。そうであればドイツに出来て、日本で出来ないことはありません。
問題は原子力ムラの人たちです。自然再生可能エネルギーで代替することができたとしても原子力ムラの人達が食べていけないのではないかという問題が残ります。これをクリアしないといつまでたっても変わらないと思います。自然再生可能エネルギーにエネルギーシフトすることでこれまでの生活スタイルの質が下がるとか、日本全体の経済力が衰退する等という誤解が今でもありますし、原子力ムラの人たちは今でもそう思っていると思います。しかし、自然再生可能エネルギー社会の実現は経済発展と両立します。そのあたりの疑問点、不安を気持ちよく解消してくれたのが冒頭で紹介したドキュメンタリー映画です。
2月25日(土)から渋谷のユーロスペースで上映が開始された「日本と再生 光と風のギガワット作戦」というドキュメンタリー映画です。主題歌はあの坂本龍一さんが作曲しています。本当に素晴らしい内容でした。もともと自然再生可能エネルギーでまかなえると思っていましたが、この映画を観て確信しました。
http://www.nihontogenpatsu.com/ これを観て戴ければ本当に勇気がでます。原子力ムラの人たちとりわけトップの人たちだけでもいいのでこれを何度も観て戴きたい。トップが発想を転換すれば一気に自然再生可能エネルギー社会に向かいます。原子力ムラの人たちはもともと技術・知識もあります。優秀な人たちの集まりです。その力を自然再生可能エネルギーに向けてくれればいいのです。
また、原発っていらないのではって素朴な疑問を抱いている人にも是非観て戴きたいです。