弁護士法人 荒井・久保田総合法律事務所

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弁護士 荒井 剛
2016.09.29

北方領土に裁判のために出張?

  釧路から東に120キロメートル離れたところが根室市になります。根室市には、釧路地方裁判所根室支部という裁判所があります。そのため私も時々裁判の関係で根室に行くことがあります。先日も仕事のため、根室に行くことがあったのですが、その日は天気も良かったためさらに足を伸ばし、納沙布岬まで行ってみたところ、わずか数キロメートルしか離れていない貝殻島を確認することができました。貝殻島とは、北方領土に含まれる歯舞群島の中にある小さな島です。人は住んでいません。その貝殻島の前には昭和12年4月1日に建てられた貝殻島灯台があり、今でも時折点灯しています。

 ところで、北方領土といっても北海道以外の方には、その全体の面積がどれくらいなのかあまりわからないかと思います。北方領土とは、歯舞諸島のほか、色丹島、国後島及び択捉島を指しますが、これらの島の面積を合計すると約5000平方キロメートルになります。ちょうど福岡県全体をカバーするほどの大きさになります。ちなみに国後島は沖縄本島、択捉島は鳥取県程度の大きさがあると言われており、この2島だけで北方領土全体の90%以上を占めております。1945年8月15日当時、北方領土には17、291人が住んでいました(外務省HPより引用)。

 冒頭、根室には釧路地方裁判所根室支部という裁判所があると書きましたが、1945年当時、択捉島の紗那村には「根室区裁判所紗那出張所」、そして、国後島の泊村には「根室区裁判所泊出張所」がそれぞれありました。もし、旧ソ連軍からの侵攻もなく北方領土が当時のままであったのであればおそらく今でも国後島、択捉島の「出張所」では、日常的に裁判や調停が行われていたと考えられます。したがって、釧路の弁護士としても根室の裁判所だけではなく、その先の国後島や択捉島まで刑事事件や民事事件の裁判のために出張していたと思います。しばらく北方領土問題は影を潜めていましたが今年の12月に山口県で日露首脳会談が行われることとなりまた少し動きが出てきたように感じられます。いつの日かまた北方領土にまで出張することができる日が来るのでしょうか。

 なお、1945年当時、北方領土に住んでいた住民の戸籍簿や不動産登記簿はどうなってしまったのでしょうか。たとえば、北方領土に居住し、かつ、北方領土に土地・建物を所有していた方が亡くなった場合、戸籍関係や権利関係を調べるためにはどうしたらいいのでしょうか。旧ソ連軍の侵攻により当時の戸籍簿や登記簿が焼失してしまっていたとしたら何も調べようがありません。実は、当時の戸籍簿や不動産登記簿は、現在、根室にある釧路地方法務局根室支局内の書庫に厳重に保管されております。相続関係がわかる資料等を添付すればこれらの登記簿類の写しを請求することができる場合があります(釧路地方法務局HP参照)。

 現在、厳重に保管されているこれらの登記簿類は、当時の裁判所出張所の職員(書記)が、旧ソ連軍からの侵攻をかいくぐりながら、まさに命がけで択捉島や国後島から持ち帰ってきたものです。特に国後島の根室区裁判所泊村出張所の書記で、一人勤務で着任していた浜清さんの話は後世まで語り継がれています。浜さんは、旧ソ連軍による国後島への侵攻が始まる中、根室区裁に電報で出張所の引き揚げの指示を仰いだのですが、回答がなかったため独断で船を手配し、登記簿類をすべて積載し、根室に持ってきました。

 当初、当時の地裁所長からは、無断で出張所を引き揚げることは許されないと言われ、待機を命じられたそうですが、後に、所長からよくやったと高く評価されたそうです。もし浜さんが勇気を持って登記簿類を根室まで持って帰ってこなかったとしたら国後島の登記簿だけがない状態になっておりました。まさに浜さんの英断です。そんな浜さんの写真が現在の釧路地方法務局根室支局の一室に掲げられています。一度、機会があればその写真を拝見したいところです。そして、いつの日か、浜さんが持ち帰った国後島の登記簿類がまた陽の目を見る日が来ることを願っております。