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弁護士 小田 康夫
2016.06.13

憲法21条は変えるべきなの?

「ある人は、憲法を変えろと言うけど、ある人は、憲法を守れと言う。」

「そんな両方の意見を言われても決められない、わからない」という若者もいる。

国会の前でデモをする若者がいる、それを非難する声もある。

集団的自衛権は憲法上、否定されていたはずなのに、結局、安保法案も通った。



みなさんは、憲法を変えるべきだと思いますか?



答えを出している方もおられると思いますが、なかなか難しい問題です。

難しいというのは、テーマが広すぎることが原因の一つでしょう。憲法には、国防の問題もあれば、国内の法制度に係る問題等、多種多様な規定が置かれています。そこで、思い切って、議論を憲法21条に限定します(もっというと、その中の一部の条文の、解釈の一部に関わる話ですが)。



憲法21条1項は「集会、結社及び言論、出版その他一切の表現の自由は、これを保障する。」と規定しています。この規定は、変えるべきなのでしょうか?



















そもそも憲法って何でしょうか。

よく、法律は国民を縛るが、憲法は国家の権力を縛るものと言われます。

憲法は個人主義を原則とし、国家権力により個人の自由が制約されることを拒む権利(防御権)を与えています。

そして、国が、個人の著した書籍の発表を禁止したり制限したりすることは、憲法21条で禁止されます。それがどんなに、時の政府に都合の悪い書籍でも、それを発売禁止にすることはできません(もちろん、例外はあります。)。



憲法21条で保障される自由は、「表現の自由」なんて言われますが、この文脈でいえば、「表現の自由」は、国民が国に対して持つ「表現を防御する権利(干渉しないでくれ!)」と読み替えることができます。

憲法21条は、国家という戦車の攻撃から守る壁、貧相な武器しか持たない一個人に憲法が与えた盾、と言ったところでしょうか。



盾は、基本的に強大な国を相手にするので、強力にできています。

ただ、個人の盾が強すぎると、その盾で、隣人が怪我をしてしまう場合もありますので、そんなときは、例外的に表現の自由も制約されます(「公共の福祉」による内在的制約と呼ばれています。)。















ところで、とある改正案によると、「・・・一切の表現の自由は、保障する」という条文の後に、何やら怪しい言葉があります。「前項の規定にかかわらず、公益及び公の秩序を害することを目的とした活動を行い、並びにそれを目的として結社をすることは、認められない」。



この「公益及び公の秩序」の文言が挿入されたのは、オウム真理教などの破壊活動を防止できなかったことの反省に基づくと説明されていますが、本当にそのような限定的な場面にのみ適用されるでしょうか。「公益及び公の秩序」を「害する」というのはどういう場合で、それを誰が判断するのでしょうか。



そもそも、個人の権利と個人の権利がぶつかるとき、憲法上の権利も制約を受けます。いくら表現の自由だと言っても、他人の私生活(家でどんなことをしているか)を暴いて、記事を書くことは許されません。それを「公共の福祉」による内在的な制約と言います。このような制約は、現行憲法上も導かれる制約です。



改正法は、その制約を超えて「公益及び公の秩序」という文言を加えています。実際に、限定的に適用されるのであれば、問題はないかもしれません。ただ、「公益及び公の秩序を害する」か否かに疑義が生じたとき、個人は、それに該当する恐れのある表現活動には慎重になるでしょう(萎縮効果)。



憲法には多くの条文がありますし、改憲の問題を考える際、全体ではなく、個別の条文がどう変わるのか、しっかり見ていくことが必要です。少なくとも憲法21条の規定に怪しい言葉を付け加えることは、何か危険な感じがしないでしょうか?