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弁護士 小田 康夫
2021.06.08

「えん罪ってなんで起きるの?」(中学1年生からの質問)

前回のコラムでも取り上げましたが、先月、法教育セミナー「知らなきゃ損!将来、役にしか立たないはなし」を、ズーム講座を実施しました。実施日の前に来場予定者から、質問を募集したところ、

「えん罪ってなんで起きるの?」

という質問がありました。
この質問をしたのは、中学1年生。

確かに、
「自白偏重主義(自白を重視しすぎ)」とか、
「検察組織の独善的構造(1回決めたら突き進む、トップダウン構造)」とか、
難しいコトバで説明をすることは可能でしょう。

しかし、中学生にも(あるいは、すべての大人にも伝わるように)わかりやすく説明することは、なかなか難しいと思います。質問の内容も、司法の矛盾を突くものでもありました。司法には「少数者の人権を保護しよう」という目的があるのに、えん罪は、逆に、人権侵害に加担してしまっている。そうであるがゆえに、この質問をした中学生の問題の所在を見つけるチカラ、自分で考えるチカラの高さをうかがわせます。

さて、この鋭い質問に私も、当日、講師を務めた島袋弁護士も、回答に窮したわけですが、ただ、回答しないわけにはいきません。どのような回答をしたのか、簡単に掲載しておきます。
(YouTube動画:https://www.youtube.com/watch?v=WhZzH3tbH00→1時間6分~)。

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「捕まった人が、悪い人だと、みんなが悪いと思ってしまう」
「手続きをせずに、そう考えてしまう」
「みんなが悪いと思ってしまうと、ほかの可能性が見えなくなってしまう」
「ほかの可能性というのは、この人の事情とか、ほかに犯人がいる可能性とか」
「人間だれしもそうなると要素がある」

「たとえば、ニュースで悪い人がつかまった」
「人相悪い人がテレビに映っている」
「だからこの人が犯人で間違いないと思う」
「そういう考えの延長であると思う」

「そこで立ち止まって」

「別の可能性があるんじゃないか」
「別の可能性を疑っているとみる」
「そんな姿勢が必要なのではないかと思う」
***************************
「例えば、DNA鑑定という話があります。」

「ちょっと難しいかもしれませんが、例えば」
「被害者の服に、血液が、ついていました」
「この血液が、加害者のものと鑑定結果がでました」
「この人が、犯人で間違いないね」
「そう思ってしまうと思う。」

「でも、よく考えてみると、可能性は低いかもしれないけれど」

「犯罪があった日じゃないときに、ついたものかもしれない」
「もともと同居していて、その時についたとかがあるかもしれない」
「イロイロな可能性が考えられると思う。」

「何が言いたいかというと」
「科学を信用しすぎちゃうというのは法律的には怖いこと。」
「科学的なものを信用をしすぎちゃう。」

「えん罪って怖いのは」
「裁判官も、検察官も、当然、弁護士も、」
「だれも、えん罪をつくろうと思って作っていたわけではないところです。」

「警察官も、検察官も、犯人だと確信を持っている」
「裁判官も、犯人だと確信して、有罪にした」
「だけど、あとあと見たら、違った」

「結局、信用しすぎたんですよね。『何か』を」
「おそらく『何か』を、信用すぎた。」
「『何か』とは何か。」

「その『何か』が、今回は、科学的な証拠、『DNA鑑定』だった」
「その『何か』は、私もよくわかりませんが」
「将来的には、ほかにも出てくるかもしれません。」
「例えば、AIだったり」
「『AIで99.9%、この人が犯人だ』という結果が出たとか」

「その時、本当にAIの判断を信じていいの、とか」
「科学的な証拠を信じていいの、とか」
「立ち止まって考えることができるか。」

「リテラシーの問題かもしれません。」
「科学リテラシー」
「科学的なものを疑う姿勢が必要だということ」

「というわけで」

「なぜ、えん罪が起きるの、と聞かれたら、」
「『何かを信じすぎた』から、という答えになります。」
「えん罪が起きないためにはどうするか、と聞かれたら」

「信じすぎないでという答えになります。」
***************************
わかりやすい回答になっているが疑わしいですが、
概要、以上のような説明を試みました。
みなさんが、中学生に質問されたら、なんて答えますか?
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絶対的な真実は神様でない限り、わかりません。
人間は神様ではありませんから、
真実がわからない中、人が人を裁かないといけないのが裁判です。

そうすると、
証拠から犯人だということを認めていかないといけませんが、
人間である以上、
判断にぶれが生じたり、偏った見方をしてしまったりする場合があります。

あやまった判断をできる限り排除するために、
疑わしきは被告人の利益に、という大原則があります。

「疑わしきは被告人の利益の原則」
を徹底していないため、
えん罪が出てしまっている、というか、えん罪は防げていない。

そして、
「疑わしきは被告人の利益の原則」
というのが、なかなか難しく、

検察官も裁判官も、科学的な「何か」を信頼しすぎ、というが私の説明です。
『何か』とは何でしょう。

ひと昔まえは、それが「DNA鑑定」でした。
というのも、「DNA鑑定」という言葉を聞いて、
警察官も、検察官も、(おそらく裁判官も)ほとんど疑わずにその判定結果を、
受け入れてしまったのです。「DNA鑑定の結果が間違っている」なんて、みんな考えなかった。

(足利事件を含む)えん罪の悲劇はこうやって起こりました。

将来、
「この『科学的な証拠』があったら、間違いなく、犯人だ」
という立証手法が、出てくる可能性があります。

例えば、
防犯カメラ映像の解析結果が99.9%一致しただったり、
ラインやメール情報が蓄積されたビッグデータを基にした犯人予測解析(AI)結果だったりするかもしれません。

コロナじゃないですが、
人類は未知のものには、脆弱です。
過大に評価したり過小に評価したりして、
物事の実態あるいは本質をつかめないことが多い。

新しい未知の能力を有するという、
『何か』(それはたいてい「科学という名前」を背負ってやってきます。)
が出てきたとき、冷静にその能力を分析できるか。

えん罪の問題に限りませんが、3つの姿勢が必要です。
①得体の知れない「何か」に出会ったら、
まずはその実態あるいは本質を見つけようとすること。
②誰かの判断をまずは疑ってみること。
③限界を見極めること。

今回の中学生の質問ですが、私も含めて、「大人なのに、そんな姿勢を持ってなかったんですか」と問われているような気がしました。