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弁護士 小田 康夫
2020.10.07

間接事実の積み上げで有罪立証?

電池2個(A電池とB電池)を
並列につなぎ、
ライトに電気を流す場合、

電池が100回に99回作動する
(=100回のうち1回は不具合で作動しない)
と仮定すると、

両方とも作動しない
(A×かつB×)ケースが
0.01×0.01=0.0001となるところ、

両方とも作動しない場合以外のケースであれば
(A〇又はB〇、すなわち、A〇B×、A×B〇、A〇B〇)、
電気が流れますから、全事象から両方とも作動しない場合を引いて、
1-0.0001=0.9999。
つまり、99.99%の確率でライトが点灯します。
言い換えれば、10、000回に1回、電気が点灯しない事例が起こります。

このようなケースで、仮にライトの不具合が、
5、000回に1回、
1、000回に1回、
場合によっては、毎回、
生じるとすれば、何か人為的な介入(例えば、従業員が悪さをしている)やそれ以外の問題があると疑うことになります。






話は変わりますが、
海外の事例ですが、
A)長男A君が1歳前後で突然死し、
B)次男B君も1歳前後で突然死した
という事件がありました。
その後、母親の関与が疑われ、刑事裁判(日本でいう裁判員裁判)に持ち込まれました。
この裁判で、長男と次男が連続して突然死する可能性は「極めて稀」であると指摘され(1万回に1回よりも起こり難いとされました。)、この母親は実刑判決を受けました。
しかし、このような論法には非常に大きな問題が潜んでいます。
どこが問題でしょうか。










刑事事件で犯罪を立証する際に、
間接事実(Aという事実、Bという事実・・・)を積み上げて、
立証する手法が用いられることがあります。

上記の応用として、
Aという事実が起こることは非常に稀である、
Bという事実が起こることも非常に稀である、
という場合、例えば、
Aという事実が起こる可能性を100回に1回
Bという事実が起こる可能性を100回に1回
の場合、検察官から、
「今回の犯罪が起こる可能性は、0.01×0.01=0.0001となる。つまり、1万人に1人という確率になる。こんな事態が生じることは極めて稀であり、被告人が犯行を行ったと考えるべきだ」
という論法がとられることがあります。
海外の事例でも同様の論法がとられました。

しかし、この論法は控え目に言っても、慎重さを要します。
というのも、電池の場合は、「A電池」と「B電池」は「互いに独立」であり、影響を与え(合わ)ない(AとBに関連性がない、相関関係がない)のに対し、突然死の事例では、「A君」と「B君」が突然死をした原因は、突き詰めると、他の同一の要因(例えば、遺伝的な問題など)の影響がありうるもので、「A君の突然死」と「B君の突然死」とは「互いに独立」とは評価できないからです。もう少しはっきり言うと、「A君」と「B君」は同一の遺伝的な疾患を(生まれながらに)持っていた可能性が一定程度あり、単純に、「0.01×0.01という計算により、1万回に1回の『極めて稀』な事例と評価できる」ものではなかったということです。(誤解を恐れずに)もう一歩進めれば、先の事例では、長男の「A君」が突然死した場合、次男の「B君」が突然死することも一定数ある、という事実認定さえ成り立ちうるケースだったのです。

このような事実認定は、刑事事件では、特に慎重であるべきです。
というのも刑事裁判では、「10人の罪人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」と言われているからです。言い換えると、「真犯人処罰」と「冤罪」を比べたときに、「どうせ間違うなら、冤罪をなくす方向、つまり、無罪方向に間違おう」という考え方が採用しているからです。

刑事裁判では、次の4パターンがあります。
①処罰して、真犯人だったケース。
②処罰して、冤罪だったケース。
③処罰しないで、真犯人だったケース。
④処罰しないで、冤罪(無実)だったケース。

確かに、①(=真犯人→処罰)が理想です。
しかし、人間は間違いを犯す動物ですから、
常に正しい判断ができるわけではありません。
②(=冤罪のケース)は、最悪の選択です。
取り返しがつきませんし、人権侵害の最たるものです。
近代社会以降、そのような事態はあってはならないとされています。
「②(冤罪のケース)>③(処罰しないで真犯人だったケース)」
これが刑事裁判の公式のようなものです。

翻って数字のトリックの騙されないためにはどうするか。
①他者から示された「数字」「計算結果」などデータを安易に信じない。
②そのデータを基に、他人が行った解釈・判断を安易に信じない。
③「データ」を安易に信じる前に、一度冷静になって、「データ」を扱う姿勢を持つ。
などあるでしょう。
とりわけ刑事裁判では、「データ」を扱う姿勢として、
④他の原因から犯罪事実を立証する方法がないか併せて考える事が必要ですし、
⑤「データ」の取得過程や計算過程においてバイアスが含まれていないか、
⑥間接事実は「互いに独立か」、すなわち、他の(遺伝的)要因などから間接事実相互の関連性を導くことができないかを検討することは必須でしょう。
⑦最後、結論に迷うような事件にぶつかったら、「無罪」という判断を下す。

一般に、人は、バイアスに、自分自身ですら、気が付いていません。だから、真実、冤罪だとしても、検察官は有罪であると疑っていないケースがほとんどです。その意味で、刑事裁判は、検察官側の正義と、弁護人側の正義のぶつかり合いです。裁判員の方にとって、非常に重労働であることは間違いありません。
確かに、弁護人にもバイアスがあります。しかし、さきほど指摘した通り、弁護人の場合、「10人の罪人を逃すとも1人の無辜(むこ)を罰するなかれ」という原則のもと、主張を展開しています。ぜひ裁判員の方も、あるべき事実認定のプロセスを踏み、冤罪をなくすよう、慎重に判断を加えていってほしいと願うばかりです。「データ」を示す検察官側も「データ」に含まれるバイアスに気がつかず、判断権者たる裁判官や裁判員の皆さんが「データ」を安易に信用してしまえば、冤罪という悲劇は繰り返されることになります。上記で挙げた悲劇的な認定にならぬよう、「間接事実の積み上げという手法には危険がつきもの」という認識でいることは、強調しても強調しすぎということはないでしょう。