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弁護士 小田 康夫
2020.06.04

35歳の悟り

道東、とりわけ、中標津町、隣の別海町は酪農が盛んです。

中標津町の
はずれに計根別(けねべつ)という集落があり、この集落の
はずれに上標津(かみしべつ)という地区があります。

道東
そして
計根別は
歴史的には、
新興の酪農地区です。

計根別の郷土資料には、
私の曾祖父である小田保太郎が、
牛5頭を連れて、入植したことが記載されています。

小田家についての歴史を紐解くと(口頭伝承)、
曾祖父が計根別に入植したのが、
大正の頃だそうです。

もともと北海道の倶知安あたりに住んでいた清という
私の祖父が、長男のいなかった保太郎の養子となり、
徳島から嫁いだ祖母と結婚しました。
道東は寒冷地で畑作は厳しく
いったん祖父母は満州に移住しました。

その後、
戦争に負け、
道東に戻って、
父が誕生しました。
その頃は、ようやく土地改良が進み
寒冷地でも育つ牧草を餌にする牛を利用した酪農業が盛んになっていった時期でした。
なお、父の兄弟は父を含め8人兄弟でした。
うち一人は幼少時に亡くなり、その名前が保夫だったそうです。

父が小さい頃は、
貧しくて家もおんぼろだったそうです。
隙間風がひどく
雪が降った日の翌朝は
顔に雪がのっていたとか。
さすがに私が小さい頃は、

そんなことはなかったですが、
当時の写真を見ると、
裕福な家柄とは程遠い世界だとわかります。

私も学校がない日は
朝7時には起きて牛舎に行き
ホルスタインの搾乳をします。
搾乳がひと段落して子っこに餌をやり、
朝の作業が終わるとようやく朝ごはんです。
夕方は(部活がなければほぼ毎日ですが)私は4時頃、
牛舎から遠く離れた牧草地まで、牛を呼びに行き
(「べーべー」と大きな声で叫ぶと牛は寄ってきますが、
人間同様、食い意地のはった牛や気まぐれな牛もいます。)、
牛舎に入れてそこからまた搾乳です。

うちは
春先に出産を集中させていましたから
春は夜中でも牛の出産がありました。
冬は青草を食べませんから乳量はガクンと減ります。搾乳時間は多少、短くなりますが大雪の日なんかは外に出ることすら非常に億劫でした。

私は高校を卒業し
中標津を離れ大学生になり、
そして、社会人となり、中標津に帰ってきました。
今月で35歳になります。

小さい頃は、
35歳というと、
もう立派な大人で、
人生経験もあって、
悩みもないものと思っていました。

しかし、
実際に、35歳になってみても、
未熟なところは多く
知らない世界は減るどころかむしろ増えるばかりで、
悩みも尽きません。

ただ今になってみると、
法律家が知らない酪農の世界を
実体験をもって知っていることは、
自分の強みとなり強い個性となっていました。

スピリチュアルなものとは異なるのですが、
先祖から通じたものの考え方、精神性は私に宿っているような気がします。
実際、
動物の病気を察知したり、
動物の息遣いから心の動きを感じたり
(例えば、
落ち着いている牛は、背中に乗せてくれますが、
落ち着かない牛は、こちらも緊張していると蹴ってきます。)
する洞察力は、酪農の経験を通じて得られたように思います。
また、家畜と生きることも誠実さが不可欠でそれがゆえに大変なものである事を知っていること。喋ることできない生命ともコミュニケーションをとることができることを肌身で知っていること。

法律学を含めた理論的学問分野とは
およそ関係しない世界に身を置いたことがどれだけ貴重だったか
を今ようやく実感しています。

正直、大学生の頃は、「もっといい家庭に生まれていれば」「もっといい高校に行っていれば」「もっといい生活環境だったら」と思っていた時期がありました。

しかし、生まれは変えられない。
そんなことを考えていたって仕方がない。
私も、理念的には、わかっていましたが、
ようやく35歳になり、気持ちの落としどころ、
一つの悟りの域に入ったように思います。

いまひとつ精神性のつながりで付け加えますと、保太郎だって、牛5頭を連れて未開の地に入植したのです。「なんとかなる」と思っていたのだとしたら、その意味で保太郎はなかなかのギャンブラーだったと分析します。私も司法試験というギャンブルに20代の貴重な時間を費やしたのですから、ひい爺さんの精神性は連綿と受け継がれているのかもしれません。