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弁護士 小田 康夫
2020.03.05

北海道の司法人口減少の危機を救った大学教授

北海道大学の大学院を卒業して数年間は家賃3万円のアパートに居住していました。
当時のアパートは寒くてボロかったのですが、「自分が貧乏」という感覚はありませんでした。朝6時に起きて7時には大学に着き、夜10時まで勉強して家に帰る生活をほぼ毎日していた当時の私には、いわゆる私生活がなく、家に帰るのは寝るときだけです。アパートは睡眠さえできればよく、寒くてボロくても不便はありません。当時の異常な精神状態がそれを気にする余裕を与えなかったのかもしれません。

先日、北海道大学教授の退官パーティーがあり、札幌に行ってきました。大学教授と会い、久しぶりに大学、大学院時代の友人や後輩、先輩等に会い、当時を思い出しました。

端的に言って、私はこの教授に「騙されたクチ」の人間です。

大学1年生のとき、「夜間法学教室」というものがありました。
大学1年生は高校を卒業したばかりの18歳、19歳ですから、「法学」の基礎を知りません。10人から20人の司法試験を目指すメンバーを集め、その新入生向けに夕方6時頃から司法試験に関わる問題を取り上げ、発表者を決め、ゼミ形式で議論をするというものだったかと思います。司法試験の合格候補生を早期に囲い込む、このゼミにはそんな教授の目論見があり、目論見通り、ゼミから多くの合格者が輩出されます。私もゼミに参加し、大学1年生から司法試験の勉強を始めます。

ただ、ゼミには当然、「もともと優秀な学生」が一定数いる一方、地方の進学校でもない高校から北海道大学になんとか進学し、大学に受かるのさえギリギリだった学生もいるわけです。私は進学とは無縁な地方高校の出身です。当然、後者、「ギリギリの学生」に分類されます。そんなギリギリの学生である私に対しても、教授は褒めることを厭わず、決して「できない」とか「無理だ」とか「諦めなさい」というようなマイナスなことは言いません。

「素晴らしい答案です」
「あなたは優秀だ」
「あなたにきちんとした教育投資がされていれば東大なんて入れていましたよ」
「絶対受かりますよ」
「来年は大丈夫」

後でわかりましたが、教授は私が間違ったことを書いている答案には最後ひとこと「勉強のしすぎです」と書かれていて、間違いの指摘にも緩衝剤が効いていました。
こんなことを聞いているうち、私も、次第に勘違いしてくるわけです。
「自分でも将来は弁護士になれるんじゃないか」
「自分はもしかしたらデキルほうなんじゃないか」
「自分もあんな風に合格できるんじゃないか」
(高校の偏差値が41なのに、です)。

当時、ゼミに参加していると、教授は、司法試験に実際に合格した先輩を連れてくることも多く、大学生から見れば普通会う事のない裁判官や弁護士と一緒に懇親会でお酒を飲んだりすることができました。そんな姿を近くで何度も見ていると、「自分もやればできるんじゃないか」と考えてしまいます。教授は「自分もやればできるんじゃないか」という勘違いを醸成させるべく、十分な場所を提供してくれたのです。
教授の罠にはまり、
ここから長い司法試験受験の旅に入ります。
詳細は以前のコラムに譲りますがhttp://www.ak-lawfirm.com/column/1096
約10年の受験時代が始まったのです。
おそらく私以外にも、教授に騙された方が多くいるはずです。
教授に出会っていなければ、
もっと遊んだり、映画を見てのんびりしたりできたでしょうし、
異常な精神状態に追い込まれることもなかったでしょう。
教授は私や多くの受験生から華やかな大学ライフを奪ったのです。

ただ、私が教授に出会っていなければ、現在の仕事につくこともなかったでしょう。
一つの物事に心血を注ぎ、およそ10年間集中する時期もなく、何のスキルもない社会人になっていたかもしれません。
長い司法試験受験時代に得た経験の一つ一つが、私の人生を変えました。
司法試験で過酷な時期を過ごした経験が、今の仕事のモチベーションとなり、
大学教授を含む試験を通じたつながりが、今の私を支える仲間となり、
教授の「半分以下の人を救え」という言葉が、私の法曹としての矜持となりました。
あ、それと、教授のほめ方は、今、私が誰かを指導するときに使わせてもらっています。

教授、御退官おめでとうございます。
教授が北海道大学を去ってしまい、誰も受験対策をしなければ、司法試験合格者を生む土壌がなくなり、将来の北海道大学は、教授がいうように「ぺんぺん草」になってしまうでしょう。
そうならないよう、教授が退官パーティーで話されていたように、札幌弁護士会の有志が、協力していくことになると思います。私も釧路弁護士会の一員とはなりますが、教授の意思を次の世代に伝えられるよう、私なりに活動したいと思います。

なんだか、同教授が亡くなってしまったかのような話ですが、同教授は現在も健在です。むしろ精力的に活躍されていると伺いました。なお、誤解のないよう、教授の功績についてですが、教授は司法試験合格者を長年輩出してきた功績もさることながら日本を代表する不当利得法の権威であり、ドイツ語や英語で論文も執筆する方です。当日は、100人を超える出席者(多くが法曹関係者)が全国から駆け付け、教授の功績をたたえました。私も含め、多くの大学生が、司法試験合格に導かれ、教授の恩恵にあずかってきました。それと、以上は美談として語られるべきですが、これで終わるのは教授の性格からして潔しとしない方ですから付けくわえますと、教授は実はめちゃくちゃな人でして、「火事になったら困るからね」と大真面目でいつも話して、よく(というか教授室に伺うとほぼ毎回)お茶を自室の床にぶちまけておりました。退官パーティー当日に教授室に御挨拶に伺ったら、その日もやっていましたね。変わらぬお姿、なんだか元気をもらいました。カラスにエサをあげて大学当局から目を付けられる話もあったとか。教授はアナーキストを自称していましたが、社会をまっとうな方向に変えようという思いがあり、よく政治的な話もしてくださいました。教授の中国の古典の話は半分以上聴き取れませんでしたが、なんとなくうなずいていたことをこの場を借りて謝罪いたします。

一時は、法曹人口拡大路線がありましたが、今はどこかに消え、司法人口は横ばいの状況となりました。一時、弁護士になっても就職先がないと言われましたが、就職状況も改善されているようです。そのため、現在では、地方の弁護士会に、新人の弁護士が来ない、と言われ始めました。東京や大阪などの大都市で吸収され、就職希望者が地方まで降りてこないのが原因と思われます。地方で、かつ、地元で弁護士をしていますと、つくづく感じるのは、地方の出身者が地元に戻ってくることが、日本全国津々浦々に司法を巡らせる手っ取り早い方法ではないかということです。教授は、北海道出身者か道外出身かを問わず、教育活動に勤しんでおりましたが、北海道大学の入学者は道内出身者が多いが故に、意図的ではないにせよ、北海道の、司法人口減少の危機を、救ったように思います。そして、教授が後世に送り出した北海道の法曹関係者が、教授の後を継ぐはずです。私も地方で司法の担い手が増えるよう、活動をしていきたいと思います。